うつ病
うつ病について
日本では、100人に3〜7人という割合でこれまでにうつ病を経験した人がいるという調査結果があります。さらに、厚生労働省が3年ごとに行っている患者調査では、うつ病を含む気分障害の患者さんが近年急速に増えていることが指摘されています。 「うつ病が増えている」の背景には、 うつ病についての認識が広がって受診する機会が増えている 社会・経済的など環境の影響で抑うつ状態になる人が増えている うつ病の診断基準の解釈が広がっている など、様々な理由が考えられます。(厚生労働省HPより)
重症の鬱と診断されて
重症の鬱からの脱却
今年お世話になっている病院の診察券だけでこんなにあります。でも一時の重症の時期から考えると、随分良くなっていると思います。
私の原因不明の体調不良は18年ぐらい前から始まりました。現在の夫と結婚したとたん、それまで元気印で運動をし、外を走り回っていた私が運動どころか日常生活もままならなくなり、病院通い、入退院を繰り返すようになりました。
このようなことを言うと、夫が一方的に悪いように聞こえますが、夫は夫で随分がまんをしていたのだと思います。価値観の違うもの同士の結婚や、結婚前に抱えていた夫の家族との付き合い方に対する不安は、見事に私の体調を攻撃してきました。
重症の鬱からの脱却
最初は自分が鬱病だなどと信じられませんでした。でも、真夏に毛布にくるまって病院の待合室でブルブル震えながら診察を待つ私を先生方は「熱なし」「血液検査異常なし」 → 「はい、鬱病」と心療内科に回してしまいました。
「名医と呼ばれる心療内科」の先生にも見て頂きました。診断は 「重症の鬱」。結局山のような抗不安薬、精神安定剤、などを処方され、それらを飲むと一日中ぼーっとして、大好きな車の運転もままならなくなりました。
薬をやめてみる
睡眠障害はありましたので、眠剤だけを出してくださるとても楽しい心療内科の先生にお会いしました。その先生との出会いで、気持ちは少しずつ軽くなっていきました。同時に針治療や、テラ岩盤浴などいろいろな方法を試すうちに、最悪だった体調が少しずつ、ほんとうに少しずつなのですが復活してきました。
60歳で大学入学
たくさんの偶然が重なり、私は「日本語講師」という職業と出会いました。ボランティアとして始めたので、特に資格はいらなかったのですがもっとこの道を究めたいと思い、大学に入学。2年間は点滴を打ちながらのスクーリングでしたが無事卒業でき、現在はオンラインの日本語講師として仕事を頂いています。
重症の鬱からの脱却
オンラインの日本語講師として登録してすぐに大賞を頂きました。日本語講師の仕事は時差があり、きつい仕事なのですが、今は気合でやれています。
笑うこと
この仕事をしなかったら、一日でこんなに笑うことはなかったかもしれません。でも生徒さんたちのおかげで、毎日笑ったり、一緒に泣いたりしながら過ごしています。
リラックスタイムはお風呂で
もちろん毎日パソコンの前に座ってずっと作業をしているので大変疲れます。生徒さんの話すスピードに合わせてタイプし、それをまた正しい日本語に打ち直し、さらに英語の意味を付け加えるなどという作業をしていますので、本当に疲れるのですがディスクの横にはいつもテラ鉱石を置いて、疲れたところをマッサージ。そしてもちろんお風呂ではテラ岩盤浴でゆっくりと疲れをいやします。
風邪をひいても復活!
みなさんにとっては普通のことでしょうが(もちろん過去の元気印の私には普通のことでしたが)、風邪をひいて一日は仕事を休みましたが、なんとかひどい状態でも仕事を続け、元気になりつつあります。確実に自己免疫が強くなりました。 この十数年間でかかった病気は、肺炎、膵炎3回、甲状腺機能低下症(橋本病)、橈骨神経麻痺、胸郭出口症候群など、聞いたこともないような病気にもかかりました。 2015年の狂おしい夏を、市販の風邪薬とレモネードで乗り切れるなんて思ってもみませんでした。「水を飲んで先生!」「暖かくしなくちゃだめ」など生徒さんたちは様々なアドバイスをくれました。 私は今まで死んでいたに等しい人生でしたので、できるだけ長生きしたいと今は思っています。